平福寺の由来

 彌林山平福寺は、弘法大師空海(774-835)の密教を擁護する道場として開創されました。その開基は不詳ですが、諏訪下神宮寺僧・憲明阿闍梨(?-1396)の中興とされ、隆盛時には伽藍七宇・門徒十一坊を有する大寺院であったとされます。また傍らに正八幡大菩薩の社があり、仏殿にはその本地仏・阿弥陀如来が安置されていました。

 しかし、天正・慶長年間(1573-1615)の戦乱・洪水により荒廃したとされます。横河川左岸の古屋敷を離れて、東堀郷と共に現在地に遷されました。しばらく仮堂の状態が続きましたが、第23世憲栄和尚(?-1729)は、京都智積院にて学び、高野山金剛頂院の法流を受けて帰郷します。高嶋藩主忠虎公(1663-1731)の帰依のもと、諸堂を建立、本尊金剛界大日如来を造顕し、悲願の復興を遂げました。

 明治初年の廃仏毀釈により、諏訪大社の別当寺が廃寺となる中、縁りのあった下社神宮寺・三精寺・観照寺の檀徒や仏像等が、難を逃れて当山に引き継がれています。日限地蔵尊もこの時に移されました。近年には、檀信徒の方々のご助力により、客殿・会館・山門など、山容の整備が進められるとともに、寺院での様々な活動が続けられています。

 当山は、歴代住職、檀越縁者の尊いご尽力により、弘法大師の教えを学ぶ道場として、そして仏菩薩や亡き御霊に祈りを捧げる霊場として、長きにわたり護り伝えられてきました。より多くの皆様が、寺院や仏道に親しまれ、こころ安らかで充実した日々をお過ごしになられますよう、祈念いたしております。

宗派
真言宗智山派
本山
総本山智積院(京都東山七条)
本尊
金剛界大日如来(岡谷市文化財指定)
中興
憲明阿闍梨(?-1396)